『イーゴリ遠征物語』


『イーゴリ遠征物語』

歌劇『イーゴリ公』の原作ともいうべき中世ロシヤ語で書かれた物語、『イーゴリ遠征物語』についてご案内します。

テキスト

『イーゴリ遠征物語』は南ロシヤ(現在のウクライナ)で、実際にあった史実を元に12世紀末に成立した短い散文作品です。
作者は不明。
成立後に何度か筆写が繰り返され、やがて世間から忘れられましたが、1790年代にヤロスラーヴリの修道院に保管されていた写本が見出されます。
この唯一の写本は残念ながら1812年のナポレオンによるモスクワ大火で焼失してしまいました。
現存する『イーゴリ遠征物語』はこの焼失した写本を1800年代に筆写した2種類の複製(どちらも19世紀当時に出版されています)を利用しています。
勿論写真や複写機のない時代の筆写ですから、どちらの複製も正確とは言えず、現在に至るまで焼失した写本を復元する試みや研究が続けられています。

物語の内容

ルーシ(南ロシヤ−現在のウクライナ−に住んでいた東スラヴ人の国の呼称)の一都市、 ノーヴゴロト・セーヴェルスキイの領主イーゴリ侯は、繰り返しルーシに侵入し略奪を繰り返していたポーロヴェツ人に対し、 ルーシを守り武人としての務めを果たすために遠征を企てる。
出陣間際に不吉な前兆である日蝕が起きるが、イーゴリの決意は固く、従士らを鼓舞してルーシの地を後にする。
緒戦の勝利に勢いづいたイーゴリ軍はポーロヴェツ軍を深追いするが、続く戦闘で善戦空しく壊滅状態に陥り、イーゴリらは囚われの身となる。
ポーロヴェツ軍はそのままルーシに侵攻し、ルーシの地は憂愁と悲嘆の空気に包まれる。

物語は過去に遡り、ルーシの諸侯の内乱とキエフ大侯スヴャトスラーフのポーロヴェツ戦での勝利に触れ、 そのスヴャトスラーフにルーシの惨状を暗示する不吉な夢を語らせる。
スヴャトスラーフは出陣したイーゴリらの功名心を非難し、また相争う諸侯にも不満をあらわにする。
物語の作者もルーシの諸侯に対し戦功と徳ををたたえつつも、直ちに内乱を収拾し、一致してルーシの国を守るよう訴える。

プチーヴリに留まっているイーゴリの妻ヤロスラーヴナは夫の身を案じ、また何故イーゴリ軍に加担しなかったのか、と風、ドニェープル河、太陽を責める。
おりしもイーゴリはポーロヴェツの国を脱走し、ドネーツ河の祝福を受けつつキエフに帰還する。
ルーシの民はイーゴリ侯の生還を喜び、諸侯とルーシを寿いで物語は締めくくられる。

人名、地名の表記は岩波文庫『イーゴリ遠征物語』(木村彰一 訳)に概ね準じています。
従って、オペラでは「公」で定着しているイーゴリら貴族の称号は「侯」で表記しています。
なお「ロシヤ」という名称が一般的になるのは15世紀末以降なので、 『キエフ・ロシヤ』と国家としての「ロシヤ」はそれぞれ『キエフ・ルーシ』と「ルーシ」に改めました。(2005/04/17)

物語の特色

形式
ロシヤの「世俗的」な中世文学の代表的な作品。
複雑な詩的リズムを持つ散文作品。
内容的には『ローランの歌』『ニーベルンゲンの歌』といった同時期の西欧の武勲詩に近い。

自然
物語の中で描写されている自然は単なる風景ではなく、あたかも意思があるかのように人間と対等にふるまいます。
人間の方でも自然に語りかけ、時には対話さえしています。
物語成立当時のルーシは既にキリスト教を受容していましたが、 物語の作者や、それを享受していた当時のルーシの民が保持していたキリスト教受容以前の自然観が現れているように思われます。

主題
この物語がイーゴリ侯の遠征とその失敗を描きながらも厳密に武勲詩、軍記と言い切れない理由に、 物語の半分に近い分量が遠征とは直接関係のない、作者による諸侯の回想、諸侯への呼びかけ、ルーシの衰運への嘆き、 そしてヤロスラーヴナの嘆きといった創作に充てられていることがあげられます。
物語中でルーシを後に遠征に向かうイーゴリらへの自然の悪意、一転して戦に破れたイーゴリらへの自然の悲嘆、 脱走してルーシに帰還するイーゴリへの自然の(あたかもヤロスラーヴナの嘆きにほだされたかのような) 歓迎ぶりにも作者の強い恣意が感じられます。
当時のルーシをむしばむ内憂外患を憂える作者は、地方都市の一領主にすぎないイーゴリの遠征をルーシの一大事に置き換え、 相争う諸侯に団結して国難にあたるよう訴えています。
遠征という叙事的な部分と、作者の創作による叙情的な部分、伝統的な武功を称える理想の部分と、無謀な遠征や内紛を憂える現実の部分、 これらの要素が混在しながらも物語が破綻せず、むしろ哀愁や情の深さを感じさせるところに作者の並ならぬ力量を感じます。

また愛国的な内容でありながら、ポーロヴェツ人への憎悪、敵意、異教への嫌悪が極めて薄いこと、 ポーロヴェツ人をルーシ人と対等の人間として扱っていることもこの作品の特色といえるでしょう。

作者と詩人

物語の作者については、どこの誰なのか、誰かに仕えていたのか、 イーゴリの遠征に関わりがあったのか、等、様々な憶測がなされてはいますが、明らかになるには至っていません。
ただ上述した通り、作者がルーシの抱える政治的問題を的確に捉え、それを解決するために諸侯の団結が必要だと信じていたこと、 そのプロパガンダでもある物語を叙情性豊かに作り上げたことから、見識と文才に優れた人物であったことは間違いありません。

この物語の特色としても触れましたが、 憂国、愛国の精神を持ちながら、問題の元凶を見誤らず矛先をポーロヴェツ人に向けなかったことは特筆すべきでしょう。
なお作者といっても完成した物語を著述していたかどうかは明らかではなく、 書物が貴重品であり、書記が特殊技能であった時代では、物語を気に入った権力者が書記に筆写させたのではないかと思われます。


物語中に何度もボヤーンという詩人が引き合いに出されます。
ボヤーンは作者以前の有名な詩人で、宮廷でグースリという弦楽器を演奏しながら、侯や従士たちの武勲を歌っていたようです。

王や諸公に抱えられていた西欧の吟遊詩人に近い存在だったのかも知れません。
おそらく当時は詩人という人々が、古い出来事や伝承、また現代の出来事を娯楽として、ニュースとして人々に伝える役目を担っていたのではないでしょうか。


『イーゴリ公』の時代のロシヤ

イーゴリ公が遠征を行ったのは1185年。日本では源平の壇ノ浦の合戦があった年でした。
その頃のロシヤはまだロシヤという国家ではなく、ロマノフ家の皇帝(ツァーリ)が君臨するするのはまだまだ先の時代でした。

キエフ・ルーシ

当時のロシヤ(とりあえず、便宜的にこう呼んでおきます)は現在のようにモスクワを中心とした地域ではなく、 現在のウクライナの首都キエフを中心とした諸侯が領有する都市の集まりでした。
バルト海から黒海に至る水運交易の要所がやがて都市になり、9世紀末に成立したこの『キエフ・ルーシ』は11世紀のヤロスラーフ賢侯の頃に最盛期を迎えます。
『キエフ・ルーシ』はキエフを頂点とする諸都市に序列があり、 ある都市の侯の死後、都市を相続するのは亡くなった侯の子孫ではなく、格下の都市を領有する侯である、という特殊な侯位継承が行われていました。
親子間での相続が認められない制度は諸侯の不満と抗争の原因になりました。
11世紀後半に父領安堵が約束されても、もはや諸侯の対立、抗争が止むことはなく、いくつかの有力な都市が侯国として反目しあうことになります。
一方、ドニェープル以東のステップには、トルコ系の遊牧民族が次々と侵入し、 直接的(都市の略奪、焼き討ち)にも間接的(西欧と東方との中継貿易が機能しなくなる)にも『キエフ・ルーシ』に、ダメージを与えます。
こうして『キエフ・ルーシ』は政治的な不統一と経済的な困窮によって疲弊し、住民もキエフを中心とする南ロシヤから北へと逃れていき、 13世紀始めのモンゴル軍の来襲によって滅亡することになります。

草原の民・ポーロヴェツ人

ポーロヴェツ人は東洋(イスラムを含む)史でクィプチャク(キプチャク)人、 西欧ではクマン人の名でも知られるトルコ(テュルク)系遊牧民族で、ルーシの記録に初めて現れたのは1061年でした。
東方から黒海北岸、ヴォルガ・ドニェープル間のステップに進出してきたポーロヴェツ人はルーシの都市や村々を襲撃して、 作物や金品の強奪、焼き討ち、人々を殺したり、奴隷として売る為に攫ってはルーシにとどまることなくステップに引き返して行きます。
その来襲は1061年から1210年までの150年に、大規模なものだけで約50回だと言われています。

ルーシもポーロヴェツ人の侵犯をただ許していたわけではなく、 1107年にはヴラジーミル・モノマーフら諸侯の連合軍がスーラ河畔でコンチャークの祖父シャルカーンを敗走させ、 イーゴリの時代にも時のキエフ大侯ら諸侯の連合軍が1183年、84年にポーロヴェツ軍を下しています。

また、ルーシとポーロヴェツは常に敵対関係にあったわけでもなく、『イーゴリの時代のロシヤ』でも触れた通り、 都市の相続をめぐり抗争を繰り返していたルーシの諸侯は反目する侯との戦いにポーロヴェツ人の手を借り、 ルーシの侯とポーロヴェツの汗(年代記では「侯」とも呼ばれる)とはしばしば姻戚関係も結びました。

なお、ポーロヴェツという言葉の語源説の一つに、 ポーロヴェツに含まれるpol-と「草原、平原」の意味(ポーランドのpol-と同じです)を重ねるものがあります。
草原の民、草原生まれ、草原育ち、といったニュアンスがあるのでしょう。

その後、1223年にポーロヴェツの地に未知の民族が軍を率いて現れ、 ルーシとポーロヴェツの連合軍はカルカ河畔の戦いで敗れます。
それがカフカスを越えて来たモンゴル軍だとわかったのは後のことだったと伝えられています。
1236年に再びチンギス・ハンの孫バトゥの率いるモンゴル軍が襲来し、 ポーロヴェツ人はモンゴル人の支配下に入りつつ、ハンガリーまで西進を続け、定着していきます。
モンゴル軍がこの地に建てた国はキプチャク・ハン(金帳汗)国として知られますが、キプチャクはポーロヴェツの別名ですので、 ポーロヴェツの土地を継承したハン(汗)の国、といったところでしょうか。
1242年から1480年まで続いたモンゴルによるルーシの支配は「タタールのくびき」の名で有名です。
このタタールという言葉は厳密にはモンゴル系タタール人を指し、 その後も、クリミア半島を中心に残ったモンゴル人の末裔はクリミア・タタールとして知られています。
ロシヤでは、トルコ系もモンゴル系もひっくるめてこの時期以降、東洋系異民族、異教徒をタタールと呼びました。
さらには遡ってポーロヴェツも今ではタタールと呼ばれています。
ヨーロッパでも、ハンガリー、オーストリアまで侵入してきたモンゴル人への恐怖と驚異は強く、ギリシア語のタルタロス「地獄」を 連想させるタタールという言葉は広く用いられました。
タルタルステーキ、タルタルソースの「タルタル」もここから来ています。

史実としてのイーゴリの遠征

ルーシの小都市ノーヴゴロト・セーヴェルスキイ(ドニェープルの支流デスナー河畔)の侯、 スヴャトスラーフの子イーゴリは、1185年4月23日にポーロヴェツ遠征の途に就く(34歳)。
イーゴリの弟、クルスク及びトループチェフスク(順にデスナーの支流セイム河、デスナー河畔の小都市)の侯フセーヴォロト、 兄の息子でルィーリスク(セイム河畔の小都市)の侯スヴャトスラーフ、 そしてイーゴリの息子(前妻の子)、プチーヴリ(セイム河畔の都市)の侯ヴラジーミルが同行し、 更にキエフ大侯スヴャトスラーフ(イーゴリの従兄)の弟、 チェルニーゴフ(セイム下流沿いの都市)の侯ヤロスラーフに請うて、 オリスチン率いるコヴイ人(トルコ系の遊牧民族)の傭兵部隊を同行させた。
5月1日、一行がドネーツ河に迫ったところで日食に遭遇、動揺する。
5月10日、ポーロヴェツの小隊とおそらくカリミウス(カヤーラ)河畔(アゾフ海北岸付近)で会戦、壊走させるが、 翌朝には大軍に包囲され、終日、また夜を徹しての戦闘の末、4人の侯は捕虜となり、遠征軍はほぼ壊滅した。
一方、勝利に湧くポーロヴェツ軍はその勢いでドニェープル左岸地帯に侵入し、略奪の限りを尽くした。
この遠征はイーゴリにごく近い身内だけで全く私的に計画され、 当時、他のルーシ諸侯と連合軍を組織し、大規模な遠征計画を進めていたキエフ大侯スヴャトスラーフには告げられていなかったため、 後に彼の怒りと同情を買ったという。
恐らく同年6月、イーゴリはポーロヴェツ人ラヴル(歌劇ではオヴルール)の援助で脱走を図り、 徒歩でドネーツ(ドネーツ河畔の小都市)に到着、ついで領地ノーヴゴロト・セーヴェルスキイに帰還し、歓迎される。
1187年秋には息子ヴラジーミルが抑留中に娶ったコンチャーク汗の娘と生まれた子供を伴って帰国した。
同様に捕虜となったイーゴリの弟フセーヴォロトは帰国を果たしたが、甥スヴャトスラーフの消息は不明である。

イーゴリはチェルニーゴフ侯スヴャトスラーフの第二子で、1151年生まれ。1202年没。
1178-1198 ノーヴゴロト・セーヴェルスキイ侯
1198-1202 チェルニーゴフ侯

イーゴリとポーロヴェツ人との関係は複雑で、1180年にはコンチャークと同盟を結び、共に時のキエフ大侯リューリクと争った。
このリューリクと次のキエフ大侯スヴャトスラーフが組織したルーシ諸侯の軍は、何回かポーロヴェツ遠征を行い、1183年と84年の戦いでは大成功を収めた。
イーゴリはこれらの遠征に不本意ながら参加できず、このことがイーゴリに1185年4月の対ポーロヴェツ遠征を企てさせる一因になったと考えられている。
また、イーゴリはルーシ帰還後の1191年に再遠征を行い、再びポーロヴェツ軍に敗れたという説がある(未確認)。
ちなみにイーゴリ自身もポーロヴェツ人の血を汲んでおり、イーゴリの祖母がポーロヴェツ人、オスルク汗の娘。

イーゴリの2度目の妻、ガーリチ侯(ドニェーストル河畔の都市)ヤロスラーフの娘、 エフロシーニヤ・ヤロスラーヴナは遠征の前年、1184年に16で嫁いで来た。
なお、歌劇で放蕩の限りを尽くすガーリチのヴラジーミル(ヴラジーミル・ヤロスラーヴィチ・ガーリツキイ)は実在の人物で、 エフロシーニヤ・ヤロスラーヴナの兄。
彼は1187年の父ヤロスラーフの死後、弟からガーリチ侯位を簒奪する。
(イーゴリの息子、ヴラジーミルもこの後、ガーリチ侯位についている。)

イーゴリの息子ヴラジーミルの妻、コンチャーク汗の娘はキリスト教に改宗し、スヴォボーダ(自由)という洗礼名を授けられた。

ロシヤ人に限らず、ヨーロッパ人は名前の種類が少ないので、同名の人物が多くてややこしい。
そのためどこの誰か明記しましたが、かえって煩わしかったでしょうか。


『イーゴリ遠征物語』の日本語訳

『イーゴリ遠征物語』
岩波『イーゴリ遠征物語』 木村彰一/訳
岩波書店(岩波文庫) 1983年
底本は、R.ヤーコプソン『選集 第4巻』校訂テクスト(1966年)。
『イパーチイ年代記』該当部分の訳付き。
本文への訳注や解説が充実しており、信頼できる一冊です。
今回、このページの作成に当たって参考にさせていただきました。
何回か再版もされていて、現在もっとも入手しやすいと思われます。
画像は初版時のもので、現在は装丁が変わっています。
『イーゴリ遠征物語』
筑摩『イーゴリ遠征物語』 品切れ 森安達也/訳
筑摩書房(世界の英雄伝説 3) 1987年
底本は、ソ連の『古代ロシア文学記念碑・十二世紀』(1980年)。
物語を歴史、歌劇を交えて詳しく解説しています。
入門書として最適ですが、残念ながら品切れなので、文庫または新書で復刻して欲しいものです。
『ロシヤ古典篇』
『ロシヤ古典篇』 絶版 神西清/訳
河出書房(世界文学全集古典篇) 1954年
『イーゴリ軍記』のタイトルで収録。
底本不明。
荘厳かつ口調の良い文語で訳されています。
他に『原初年代記』はじめ、11世紀から18世紀までの12作品を収録。
『原初年代記』は除村吉太郎訳。
『ロシア中世物語集』
『ロシア中世物語集』 品切れ 中村喜和/訳
筑摩書房(筑摩叢書) 1970年
『イーゴリ軍記』のタイトルで収録。
底本はリハチョフ『イーゴリ遠征物語』(1967年)。
他に『原初年代記』や、ペチェルスキイ修道院にまつわる聖者伝、宗教説話、『バツのリャザン襲撃の物語』、『ルーシの地の滅亡の物語』、 『アレクサンドル・ネフスキイ伝』、『ザドンシチナ』などの軍記物も充実。

イーゴリ遠征の史実を伝える歴史書

『ロシヤ年代記』
『ロシヤ年代記』 除村吉太郎/訳
原書房(ユーラシア叢書 30) 1979年
『原初年代記』(ラヴレンチイ写本抄訳)および、『キエフ年代記』、『ガリーチ=ヴォルイニ年代記』(ともにイパーチイ写本抄訳)を収録。
イーゴリのポーロヴェツ遠征は『キエフ年代記』に載っています。
弘文堂による初版が1943年、現行版は1979年の復刻版。
初版から60年経った今も復刻版の在庫があるようです。(2004年8月現在)

ロシア原初年代記

『ロシア原初年代記』の新訳(ラヴレンチイ写本の抄訳)が出版されています。
國本哲男、山口巌、中条直樹/訳 名古屋大学出版会 1987年

『原初年代記』は1110年、イーゴリの祖父の時代で終わるので、イーゴリのポーロヴェツ遠征の記事は載っていません。
こちらは残念ながら、現在品切れのようです。


イーゴリ遠征の時代を詳説したロシア史

『ロシア史1 9〜17世紀』
『ロシア史1』 田中陽兒、倉持俊一、和田春樹/編
山川出版社(世界歴史体系) 1995年
ソ連解体から今日にいたるまでの現代史をも収めた最新のロシア史のシリーズ第一冊。
この巻では、ロシア国家の起源からキエフ・ルーシの形成、解体、モンゴル侵入、モスクワ大公国、イヴァン雷帝、「動乱」、ラージンの乱までを扱っています。
『イーゴリ軍記』の一項も設けられており、参考にさせていただきました。



ロシア語のカナ表記について

ロシア語は日本語では使わない音がたくさんある言葉です。
正確にロシア語を日本語のカナで表現することはできませんが、なるべくロシア語に近い表記を試みてみました。
また、ボロディン、ボロヂーン、ボロジン(ロシア語により近い表記ではバラヂーン)、 ロシア、ロシヤ(同様にラシーヤ)など、慣用されている表記や揺れのある表記も、 検索のしやすさを考えて適宜併用しています。統一感に欠ける点はご了承ください。


著作権について

このサイトでは、ボロディンの作詞による歌劇『イーゴリ公』の歌詞(ロシア語)の一部、 及び、『イーゴリ公』のソフトのジャケット類と関連する書籍の表紙の画像、 そしてビリービンによる『イーゴリ公』関連のイラストレーションの画像を掲載しています。
以上のロシア語歌詞、画像の掲載に何らかの著作権上の問題がありましたら、ただちに掲載を取りやめます。
また、掲載している『イーゴリ公』の日本語訳は管理人Vindobonaによるものです。(2006/03/15)


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