ボロディン

歌劇『イーゴリ公』を作曲したボロディンとはどんな作曲家だったのでしょうか?


プロフィール

アレクサンドル・ポルフィーリェヴィチ・ボロディン (ボロジン、バラヂーン)は1833年11月12日(旧暦10月31日)にサンクト・ペテルブルクで生まれ、 1887年2月27日(旧暦2月15日)に同じくペテルブルクで53年の生涯を閉じました。
少年時代に興味を持った化学の研究を職業とし、 同様に少年時代からピアノ、フルート、チェロを通して親しんだ音楽の才能をバラキレフに見出され、「力強い仲間」(いわゆる「ロシア5人組」)の一員になります。
医科大学の化学者として、教授として多忙な日々を送り、また、女性の地位向上(高等教育、特に女医の育成)にも尽力しました。
わずかな余暇を音楽、作曲に充てていたため作品は少なく(完成作品はさらに少なく)、ボロディン自身が自らを「日曜日の作曲家」と呼びました。


経歴

年/月/日
(満年齢)
1833/11/12
(0)
アレクサンドル・ポルフィーリェヴィチ・ボロディン誕生。
実父、ルカ・スチェパーノヴィチ・ゲディアノフ(ゲデヴァニシヴィリ)公爵、
母、アヴドーチヤ(エヴドキーヤ)・コンスタンチノヴナ・アントノヴァ。
アヴドーチヤがゲディアノフ公爵の正妻ではなかったため、父の従者、ポルフィーリイ・ボロディンの息子として届けられた。
1842〜43頃
(9)
ピアノ連弾用 ポルカ『エレーヌ』作曲。
少年時代、家庭で音楽と語学を学ぶ。
楽器はフルート、次いでチェロを楽しんだ。
1850/11
(17)
医科大学薬学科入学。
メンデルスゾーンの影響を受けた室内楽曲の習作を書く。
1852〜53頃
(19)
ピアノ連弾用 スケルツォ・ニ短調作曲。
1856
(23)
3月、医科大学卒業、第二陸軍病院に勤務。
引き続き、「ロシア化学の祖」と言われるジーニンに師事。
陸軍士官のムソルグスキイと知り合う。
1858/5
(24)
医学博士学位取得。
1859
(26)
留学生として、ドイツ・ハイデルベルクに派遣される。
1860〜61
(27〜28)
チェロソナタ、弦楽6重奏曲、ピアノ3重奏曲、ピアノ5重奏曲作曲。
1861
(28)
5月、留学中のハイデルベルクで結核療養のために保養に来ていたピアニスト、 エカチェリーナ・セルゲーイェヴナ・プロトポーポヴァと知り合う。
1862
(29)
11月、バラキレフと知り合い、「力強い仲間(ロシア5人組)」に加わり、作曲法を学ぶ。
シューマンの音楽を知り、その影響の強い交響曲第1番の作曲に着手する。
1863
(30)
1月、医科大学助教授就任。
9月17日、エカチェリーナ・セルゲーイェヴナ・プロトポーポヴァと結婚。
1864
(31)
医科大学教授就任。
1867
(34)
9月、モスクワ・ボリショイ劇場で歌劇『ボガトゥィリ』が上演される。
複数の歌曲を作曲する。
1868
(35)
2月、交響曲第1番試演、パート譜の不備などから不評。
冬、ボロディンの書いた音楽批評論文が3本、新聞に掲載される。
1869
(36)
1月、交響曲第1番、バラキレフの指揮により初演。
10月、スターソフから『イーゴリ遠征物語』のオペラ化を勧められ、『イーゴリ公』の作曲に着手する。
1870/10
(36)
雑誌『ズナーニイェ』創刊。
以降1年間、編集委員を務める。
1872
(39)
婦人医学講習会を後援、化学講師を務める。
1874
(41)
医科大学化学主任就任。
1875
(42)
夏、歌劇『イーゴリ公』の作曲を進める。
1876/4
(42)
歌劇『イーゴリ公』の「ほまれあれ」(プロローグの民衆の合唱)、リムスキイ‐コルサコフの指揮により初演。
1877
(44)
医科大学会員に選出される。
3月、交響曲第2番、ナープラヴニークの指揮により初演。
夏、ドイツにリストを訪問、親交を結ぶ。
1879
(46)
歌劇『イーゴリ公』の「コンチャークのアリア」、 「ポーロヴェツ(だったん)人の踊り」、「(プロローグの?)最後の合唱」、 「ヤロスラーヴナの嘆き」、「ガーリチのヴラヂーミルのアリア」、 「ヤロスラーヴナと女たちの場面」、 リムスキイ‐コルサコフの指揮により演奏。
1880
(47)
4月、交響詩『中央アジア(の草原)にて』、 リムスキイ‐コルサコフの指揮により演奏。
5月、交響曲第1番、ヴァイスハイマーの指揮により国外(ドイツ、バーデンバーデン)初演。
1881
(48)
5月、ドイツにリストを訪問。
11月、ムソルグスキイの死を受け、歌曲『遠きふるさとの岸辺に寄せて』を作曲する。
1882
(49)
ベリャーエフと知り合う。
1884
(51)
3月、交響詩『中央アジア(の草原)にて」、ジャドゥールの指揮によりベルギーで演奏。
11月、交響曲第1番、グリンカ賞受賞。
1885
(52)
夏、ドイツにリストを訪問。
ベルギーにメルシ‐ダルジャントー伯爵夫人を訪問、 アントワープの演奏会で交響曲第1番、第2番、『中央アジア(の草原)にて』 及び歌曲が演奏される。
冬、キュイと共に、ベルギー訪問。
リエージュ、ブリュッセルでの演奏会で交響曲第2番、『中央アジア(の草原)にて』、 『イーゴリ公』より「ヴラヂーミル・イーゴリェヴィチのカヴァティーナ」が演奏される。
1886
(53)
12月、交響曲第3番に着手。
1887/2/27
(53)
医科大学教授会主催の謝肉祭の仮面舞踏会で倒れ、帰らぬ人となる。

この時代のロシアはグレゴリウス暦を使っていなかったため、 年月の表示に半月近いズレがある場合があります。



主要作品

CDや演奏会で耳にする機会の多いものを集めてみました。

交響曲

第1番 変ホ長調 1867年
第2番 ロ短調 「勇者」 1876年
第3番 イ短調 未完成、グラズノフによる補筆 1887年

管弦楽曲

交響詩
(音楽的絵画)
『中央アジア(の草原)にて』
イ長調 1880年
オーケストレーション/リムスキイ‐コルサコフ
『小組曲』 1889年
1878〜85年にかけて作曲された小品集をグラズノフが編曲、オーケストレーションしたもの。
原曲の最終曲「夜想曲」に85年作曲の「スケルツォ」を組み込んだ。

歌劇

 
『イーゴリ公』 1890年 マリインスキイ劇場にて初演

室内楽曲

弦楽四重奏曲
第1番
イ長調 1879年
弦楽四重奏曲
第2番
ニ長調 1881年
弦楽四重奏曲
スケルツォ
ニ長調 1882年
弦楽四重奏曲
「スペインのセレナード」
1883年
(b-la-fの主題による弦楽四重奏曲の第3楽章)

ピアノ曲

『小組曲』 1878〜1885年。7曲からなる小品集。
スケルツォ 1885年


ボロディンの伝記、他

『ボロディン/リムスキー=コルサコフ』
『ボロディン/リムスキー=コルサコフ』 井上和男/著
音楽之友社(大音楽家・人と作品 21) 1968年
伝記と作品解説のコンパクトシリーズの1冊。
おそらく絶版と思われます。
『ボロディン その作品と生涯』
『ボロディンその作品と生涯』 ゾーリナ/著 佐藤靖彦/訳
新読書社(ロシア、ソビエトの作曲者たち 1994年
読み物としても、作品鑑賞の手引きとしても手頃な1冊です。
ボロディンと周囲の人々、イーゴリ公初演時の歌手達の写真や肖像画も豊富に載っています。
著者についての紹介、本国での出版年やこの翻訳に関する情報が全くない点が残念です。
『ボロディンとロシア音楽』
『ロシア史1』 ボロディン生誕150周年記念祭実行委員会/編
日ソ協会 1983年
ボロディン生誕150周年を記念して、旧日ソ協会が発行したパンフレット。
このページで挙げたボロディンの経歴やプロフィールは、このパンフレットを参考にさせていただきました。


ボロディンの墓所

ボロディンのお墓はサンクト・ペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院内のチフヴィン墓地にあります。
こちらには他の「力強い仲間(ロシア5人組)」全員とスターソフ、グリンカ、ダルゴムィシスキイ、ルビンシテイン、そしてチャイコフスキーも葬られており、 ボロディンは右隣にムソルグスキイ、左隣にキュイと並んで眠っています。
ボロディンの墓所には5段の五線譜による墓碑とボロディンの胸像があり、これらはボロディンの急な死を悼んだ仲間達によって建てられました。
特に胸像を背にした金色の楽譜の墓碑はCDなどのジャケットにも使用されることもあり、ご覧になった方もいらっしゃると思います。
(2021/09/12)

 
墓碑の楽譜 1段目 交響曲第2番第1楽章
2段目 歌劇『イーゴリ公』第2幕より「ポーロヴェツ(だったん)人の踊り」
3段目 歌曲『暗い森の歌』
4段目 交響曲第3番第2楽章「スケルツォ」
5段目 交響詩『中央アジアの草原にて』
  

ロシア語のカナ表記について

ロシア語は日本語では使わない音がたくさんある言葉です。
正確にロシア語を日本語のカナで表現することはできませんが、なるべくロシア語に近い表記を試みてみました。
また、ボロディン、ボロヂーン、ボロジン(ロシア語により近い表記ではバラヂーン)、 ロシア、ロシヤ(同様にラシーヤ)など、慣用されている表記や揺れのある表記も、 検索のしやすさを考えて適宜併用しています。統一感に欠ける点はご了承ください。


著作権について

このサイトでは、ボロディンの作詞による歌劇『イーゴリ公』の歌詞(ロシア語)の一部、 及び、『イーゴリ公』のソフトのジャケット類と関連する書籍の表紙の画像、 そしてビリービンによる『イーゴリ公』関連のイラストレーションの画像を掲載しています。
以上のロシア語歌詞、画像の掲載に何らかの著作権上の問題がありましたら、ただちに掲載を取りやめます。
また、掲載している『イーゴリ公』の日本語訳は管理人Vindobonaによるものです。(2006/03/15)


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